ヤマシロ国妖異譚

妖怪のいる世界の小説かく

ヤマシロ国妖異譚

妖怪のいる世界の小説

寄常ちゃんのお仕事③

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寄常はマスクの中の唇を”への字”に結んだ。

居間は案の定、売店で売られている弁当の空容器が散乱していた。ミチが用意したという大きなポリバケツのゴミ箱が早々にいっぱいになってしまったのだろう。ゴミがあふれ出してそのまま雪崩が起きている。雪崩は留まることを知らず弁当殻で道ができ、その終着点は居間と隣接している寝室。

きっと最初はきちんとゴミ箱に捨てていたのだが、じきに溢れかえってくるゴミ箱を見てうんざりとして、近くまで行っては面倒くさくなってその場に放置するということを繰り返していたのだろう。

トトト

透けて見える生活感に苦笑いをしていると足音のようなものが聞こえた。寄常やミチのものではない。上階の住人が走ったのだろうか。この建物は比較的新しく建てられたようだが、学生寮になっているくらいだ、壁だけでなく床天井も薄いのかもしれない。

「換気したい」

ミチが呻くような声を出した。

徐々に嗅覚が麻痺してきているが酷い匂いであることに変わりはない。籠った空気を開放したいのは確かだ。

居間の窓に目をやると何故か本と衣類と空き缶で出来た小動物の巣のような塊で塞がれていた。

あれをどかすまではこの悪臭から解き放たれることはない。

都市の指定ゴミ袋と分別用のビニル袋を新しく広げて転がる缶に蹴躓きながら窓に近づいた。

「缶はこっちの袋ね」

青い文字で”燃えないゴミ”と印刷された袋を足元において、塊をほぐしていく。

上着の長い袖が袴の前紐と絡んでいて、後紐は一度栞のように分厚い本の間に挟まってその先は空き缶の中に突っ込まれている。

「トウジさんって袴とか履く人?」

外来の衣装とヤマシロの衣装を組み合わせて着るのが昨今の流行で、寄常もミチも羽織の下は柔らかい生地で作られている動きやすい”パンツスタイル”だ。同年代の女性の大半が愛読しているといっても過言ではない『月刊 美巴留(みはる)』には今月号にも羽織とパンツの組み合わせ特集が掲載されていた。

「履かないよぉ。見たでしょ?大量のシャツ。せめて襟付きのシャツなら袴とも合うだろうけど。前に先輩の結婚式に行くって言ってたから、そのときに着ていったんだと思う」

普段適当な恰好しかしてないのに正装一式とかはちゃんと持ってたりするの不思議よね、と笑ったミチは塊から発掘された缶をまとめて袋に押し込んだ。

しかし空き缶がやたら多い。物としては小さいが弁当よりよっぽど数が多い。そしてそのほとんどすべてが珈琲缶だ。

「あたし珈琲飲めないの。苦くて。砂糖とか入れても豆の苦みってやっぱりあるじゃない?文化祭の時も『げーっ』って思いながら出してたのよ。そのくらい苦手というか、嫌いなのよね」

たしかにあの時ミチは難しそうな表情をしていた。寄常は文化祭を思いおこした。

あの時は丁度、リンドウの下町に珍しく外国の雰囲気を前面に出した喫茶店が出来たばかりだった。その喫茶店に社会人の姉と一緒に行ってきた、感動した、と言う同級生の提案で「喫茶 壱組」の出店が決まった。比較的材料が調達しやすいパンケーキと珈琲を提供することになった。

トウジはその喫茶店の客として来た。友人の妹がこの高等学院の生徒らしく誘われて同行したのだが人込みで逸れてしまったと受付をしていたミチに恥ずかしそうに言ったらしい。

彼は珈琲だけを注文し少しずつすすりながら読書していた。

”コーヒー飲んでるときの顔が好きなのよねぇ…”

ミチがいつか言っていた、ただ1回の惚気。

正直寄常はトウジのどこに惚れる要素があったのか理解できなかった。研究学生をしているくらいだ、頭はいい。しかしそれだけで、他に好印象を与える部分を思い出すことができない。それはこの部屋を見ればお察しだ。少なくとも寄常にとっては”ナシ!”な男だった。

それでもミチを引き付けるのは自分が嫌いな珈琲を飲んでいる時の表情なのだという。

まったくもって寄常には理解ができなかった。

「でもあの時のパンケーキは最高に美味しかったと思うわ」

寄常は塊の最後の砦だった毛糸の上着に包まれていた空き缶を袋に投げ入れた。

 

やっと窓周りが片付き換気ができるようになった。

塊で圧迫されていた割にすんなりと開いた窓からは道路を挟んですぐ近くにある大き目の公園が見渡せた。

さして強くない風が今にも崩れそうな見た目の書籍の頁を1枚めくった。

ふたりはそれぞれの姿勢で伸びをした。中腰の姿勢を続けていたせいで体が悲鳴を上げている。

「ここのお弁当殻纏めたらお昼休憩するかぁ」

見た目は派手に散らかっているが、弁当さえ片づけ終われば残りは本と細かい掃除くらいだ。台所は料理をしないからか細かいゴミしかないようだし、風呂場には何もなくトイレも珈琲缶が数個転がっているだけでスッキリしていた。さすがにそこにまで書類や書籍を持ち込んだりはしていないようだった。この調子でいけば夕方には終わるだろう。

トトト

またあの音がした。

上階だと思っていたが、どうも寝室の方から聞こえる。敷きっぱなしだった布団を干してからすっかり広くなった空間には音の発生源は見当たらない。

「なんかさっきから音聞こえない?」

「ん?どんな音?」

「足音みたいな、ホラ、今聞こえた」

トトト ト

今度はミチにも聞こえたようだ。眉根をひそめて首を縮こまらせている。

トトトト トトト

何かの足音のようではあるが人にしては軽く、ペットにできるような動物にしては重い音。

「下の階の人が天井つついてるっぽい?」

「そうなのかなぁ」

極力大きな音を立てずに作業をしていたつもりだが動きまわっていた足音が響いて五月蠅くしていたかもしれない。申し訳ないことをした。

「だとしたら後で謝っておかないといけないね」

「あぁ…そうだよね。ごめんなさい…」

「いいよ」

寝室の床 ー 階下の人 ー に向かって謝罪をしたつもりだったが思わぬ返答があった。

ここは妖怪とヒトが共存する国。妖怪は概念の具現体であり、その妖怪それぞれの概念を理解する者にはその姿が見える。たとえば学校の女子トイレにおかっぱの女の子がいるとみんなが信じていればそこに”おかっぱの女の子”という妖怪が生まれる。

この国には妖怪がたくさんいる。管鈴をはじめとしたいろいろな物事に妖怪の力が働いているものがあり、妖怪という存在に対しての認識と理解を二人は生まれながらの環境を通して深く持っている。そして寄常もミチも普段から妖怪と接している。つまりふたりは妖怪ならばはっきりと見ることができる。

しかし思わぬものがそこにいて、それが見えない場合、それは一体何なのだろうか。

「あぁ。あぁ。弁当殻はこの袋ね。お箸は燃えるゴミの袋」

寄常はなんとか恐怖に耐えた。妖怪が見えるとはいえ、彼らは様々性質が異なる。ヒトを驚かせることを生業としている妖怪もいて、以前研究学生の調査に同行した際、1時間に1度くらいの間隔で驚かせてくる化け狸に会ったことがあった。今回もそういった類だろう。人を驚かすために人がいる場所に出てくるが、リンドウやセイランといった夜でも明るくて人が多すぎる都会にはなかなか出てこない。人間が化ける妖怪に慣れてしまうからだ。しかしそれが意外と盲点となる。案の定見えない存在に耐性がないミチはヒクヒクと喉を鳴らし過呼吸を引き起こしていた。

「ミチ!!」

新品のビニル袋を短めに持ってミチの口元にあてた。

「ミチ、息を吐いて。吸いすぎてるから苦しいんだよ。ゆっくり、吐いて。大丈夫、狸だよ、あたし見たことある」

引き攣り青ざめた顔でひぃひぃと吃逆のような呼吸をするミチを少し落ち着かせるとすぐに外に連れ出した。