ヤマシロ国妖異譚

妖怪のいる世界の小説かく

ヤマシロ国妖異譚

妖怪のいる世界の小説

寄常ちゃんのお仕事⑦

f:id:gokei-ryuya:20190401133619p:plain


旅館の女将かのように襖を静かに開け「失礼します」と小声で言ってから滑り込むと、中にいた座布団に正座している中年の男と目が合った。下ぶくれ気味の大きな顔に開襟シャツをパツパツとさせたガタイのいい人物だ。もともと筋肉だったものが脂肪に代わったような体つきだと寄常は思った。

「こ、こ、こんにちは」

どもりながらもなんとか挨拶をすると、男は意外と温和な笑顔を向けて「あぁ、こんにちは」と返してきた。どうやら人間であれば会話が許されるようだ。

「君はここに住んでいる人かい?昨日からお邪魔しているのだけど、留守のようだったから勝手だけど上がらせてもらったよ」下がり眉で言う男は寄常の方に体を向けてニコニコとしている。寄常の耳元では「もう3週間もここにおる。霊の中には時間の認識がズレている輩もいる。適当に話を合わせておけ」と小声で言っていた。

「僕はねここに住んでいた人を探しているんだ」寄常の肩にいる狐の存在には気づいていないらしい。男はどこから取り出したのか湯飲みにたっぷり注がれているお茶をすすった。卓のどこにも急須らしきものはない。

この霊は相手が妖怪でも話しかけさえしなければ認識できず、見えないのかもしれない。もしここで寄常が狐と話をしてしまうと途端に狐は男に認識されてこの部屋を叩き出されるだろう。

「人探しですか」

「ここに小さな女の子がいたんだ。そう、名前は確か……キミ」

部屋の外から「ひぇ!?」という声がした。寄常にはっきり聞こえるほどの大きな声だったが男には不思議と聞こえていないらしい。キミの容姿の可愛らしさやキミとの思い出話を楽しそうに話している。思い出話が本当かどうかは確かめようがないが、容姿に関しては廊下で待機しているキミと相違ないように思える。

「あー、んん……少々お待ちください」

寄常は男から目を離さず後ろ向きに退出をした。まだまだ続いていたキミと男の過去の話を遮る形になったが、男は穏やかに「おや、お茶でも出してくれるのかな」と自前のお茶を再びすすり、寄常を見送った。

「キミ、ご指名よ」

「え……座敷童に死んだ後で用事がある悪霊って誰かしら?怖いわ……」

しゃがみ込んで口を両手で押さえていたキミにどういう人物だったか伝えるが、心当たりがない様子。どうにも思い出せなくて何度も首をかしげている。

「優しそうな顔してたけど、アレ、悪霊なんだよね」

あの穏やかな男が悪霊だとは信じがたかった。幽霊であることすら疑わしいほどくっきりと見える。狐が言うには「姿かたちがはっきり見える幽霊ほど、強い意志がある」ということだった。その”強い意志”がこの世への未練だとすると充分に悪霊になりえるらしい。

「一度顔だけでも見てみようかしら。話ができそうならそれで……」

確信の持てない提案。それでも彼の口からキミの名前が出てしまったからにはそれが解決への近道であることには違いなかった。

ところどころシミができている障子戸の隙間から意を決したキミがそっと顔を出した。

ぐるん。部屋の外でどれだけ声を出しても全く聞こえていない様子で虚空から出したお茶菓子を食べていた男が可動範囲を超えるほどに首を捻ってこちらを見た。生きている人間ではないことを意識せざるを得ない光景だった。

「キミ、キミちゃん?」

男は目を丸くして腰を上げた。つい先ほどまでその手に持っていた湯飲みや茶菓子は消えている。キミは半分部屋に入れ込んでいた身体をひっこめた。この部屋に何らかの境界があるのは寄常にも分かった。男はこの部屋の外のことを感知できない。部屋の外に出れば害はない。

「うわ、この人、昔近所に住んでた変なおじさんだわ」キミは思い出した。人間だった頃、何かとキミに付きまとう大人が確かにいた。

しかし男はその境界を越えてきた。あっという間に目の前に移動してきていた。寄常と話していた穏やかな表情とは全く違うニタニタとした笑みを浮かべている。

「変なおじさんだなんて酷いなぁ。あんなに楽しくお話してたじゃないか」

ねっとりした話し方。キミは嫌でも思い出す。母の顔、祖母の手、親戚どもの脚、納戸の床、鉄格子。

「そんなことしてないわ。あなたがしたのは私を……」

そこでキミは言葉を止めた。男が何をしたのかは寄常には分からないが、きっとキミの人生にとって大きな事だったのだろう。やがてキミは静かに告げた。

「私、あなたが嫌いな妖怪なのよ」

は、と男は小さく口を開けて息を吸った。その隙を埋めるかのようにキミは畳みかける。

「座敷童なのよ。みんな願ったでしょう?妖怪だったら他人と違っても納得できるって!私を産んでしまった母様を!みんなで!」

屋敷のどこかで何かが割れる音がする。

「妖怪……何故、何故?」

しかしキミの悲痛な訴えの内容は男には届いていないようだった。ただひたすらキミが妖怪になっていたことが信じられないという様子で「何故」を繰り返している。

「キミちゃんが妖怪?そんなこと許さない……許さない!」

「危ない!離れろ!」

狐が叫んだ。窓硝子がはじけ飛ぶ。幸いにして寄常やキミに刺さることはなかったが破片が部屋中に散っていた。

「妖怪は許さない」生きている間で一度でも聞くことはないだろう、そんな妙ちくりんな音声で男は言った。先ほどまで笑っていたシワの入った目は、穴が開いたように真っ黒で深い。力なく開いた口からはもう呪詛のようなものしか出てこない。まさに悪霊だ。

「これはいかんな」今までだんまりを決めていた狐がつぶやいた。

「キツネ。少し我慢してくれ」

「は?」

ドン。ドコドコ

屋敷が揺れる。板張りの廊下が鳴る。電球の灯りは消えて薄暗くなった。いや、部屋の外から太陽の光が入ってきているはずなのにあまりにも暗い。

「妖怪が嫌いなのにこの屋敷に来たのかい?」

野太い音でしゃべりだしたのは玄関にあった大きな壺。苔のような模様だと思っていたそれは今や人の顔が浮かび上がり、天狗のように突き出した鼻を鳴らしている。

「だったらここから出ていかなきゃあな…」

バサバサと近づいてきたのは階段下の棚に収められていた古い本。毛羽立っていた表紙はそのまま翼となり全ての頁には恐ろしい表情の鬼が舞っている。

台所から、二階から、先ほどまでいた部屋から、ぞろぞろと、屋敷が呼び込んだ付喪神たちが男を囲んだ。

「なんだ……なんだよ。お前さっきまで人間だったじゃないか…」

男が寄常を見て、かすれた音を出す。

寄常の体も常世に歪んでいた。光を放つような真っ白な肌に赤く映える隈取。狐のように鋭く伸びた鼻面。茜の羽織は炎のようにバチバチと音を立てて揺らめく。

「ここには妖異の者しかおらぬ……おぬしもまたそのひとり」

狐顔の大きく裂けた口が地獄の底の怪鳥ような声を上げた。

「それが受け入れられなければ立ち去れ!!」

羽織った炎が渦を巻き火柱を立てた。

妖怪に囲まれた男は圧倒的な恐怖に声を上げることも叶わず限界以上に顔を引き攣らせ、そのままどこかへと姿を消した。

後に残るは静寂のみ。廊下の灯りは復旧し、壺も本も他のモノたちも物言わぬ物質へと帰っていった。

「つきまといする者にはハッキリ言ってやらんとなぁ」

何が何やらと腰を抜かして座り込んだ元の姿の寄常の手元で、したり顔の小さな狐が頭をカクカクと揺らしていた。



「これで依頼終了かな」

ゴミ回収業者の車を見送った寄常はスッキリした庭を見渡した。

膝程に伸びた草をむしり、生け垣に絡まったゴミを取り除き、ほとんど何もない状態だ。

不法投棄があったのは本当の事らしく、付喪神ではないただの粗大ごみも多数あった。その処理もキイチに連絡して要不要の確認をしてから、役場に届け出ればすぐに終わるだろう。たった今、連絡の管狐を送ったところだ。

結局、屋敷のいたるところにいた付喪神たちは村民の家の納屋で眠っていたモノだったらしい。翌朝になると屋敷からすっかりいなくなっていた。

屋敷が彼らを呼び集めたのは最初の数体だけで、後は悪霊をどうにかするためにと好意で集まってくれていたようだ。「と、屋敷が言っている」狐がそう言っていた。

霊の問題の解決には対話が必要。しかし狐や他の付喪神では会話が成立しなかった。寄常という人間が屋敷に来たことで、やっと行動を起こすことができたという訳だ。

寄常がリンドウへ戻る準備をしながら昨日の状況を整理し納得していると腰元から声をかけられた。キミの頭上に乗った狐だ。

「掃除業を続けるというのであればワタシを連れて行きなさい」

「なんで?」

「寄常は平常も寄せるが常世のモノも寄せる。名は体を表す。ワタシたちと関わることになったのもそういうことだからだ」

よくわからない。何を寄せるだって?

「幽霊が見えないのに、幽霊が勝手に付いてくるということよ。あと妖怪ともお近づきになれるかもしれないわね、ってこと」キミが柔らかく翻訳してくれた。

しかし寄常は再びああいった悪霊と対峙しなければならないなんてまっぴら御免だし、自分が妖怪みたいになるのも勘弁こうむりたい。

「幽霊はもうこりごりよ。好き勝手に体を乗っ取られるのも嫌」

「あれはただ化かしただけだ。幻覚を見せただけのこと」

狐はツ、と顔をそらして澄ました表情をした。人形だというのにコロコロと表情を変える狐が憎らしい。その下でキミがフフと笑う。

「悪いことは言わないわ。ただ一緒にいるだけでいいのよ。これからも色々なヒトと出会うのならば、そこにはたくさんの妖異のモノも含まれるでしょう。その時、狐はきっと手助けをしてくれるのだから。ね」

キミは狐を頭から降ろし、寄常の前に差し出した。いつも以上に大人びた優しげな声を出す彼女の様子に、寄常は今度は素直に受け取った。

「うん。行ってらっしゃい」

キミは手を振り玄関先から動かなかった。狐を連れて行くのだから当然ついてくるものだと寄常は思っていた。

「私は座敷童だから、ここから出ちゃいけないの。今回はちょっと冒険をしただけよ。キツネについてはいけないわ」

キミは寂しそうに笑ったが、すぐに胸を張って言い放った。

「まぁ、キイチがここに引っ越して来るって言ってたし、気合を入れていびってやるわ!座敷童はいたずら好きなのよ!」

その満面の笑みがキミの本当の姿であり、今までの大人びた態度は屋敷以外の場所にいることで緊張していたのではないかと寄常は思った。

リンドウに帰った寄常はその数週間後、家の表ーお面屋の入り口脇に小さな看板を置いた。本格的に掃除を仕事とすることにしたのだ。従業員は1人だし、依頼もまだまだ学園から入るもののみ。しかしキイチの研究者仲間に名前が売れたらしい。依頼完了時に「入用の時は真っ先に連絡する」と言われると同時に「現地調査の掃除に付き合ってくれるというのは本当か」と聞かれた。

依頼申し込み書を送付して帰って来た管狐と、毎日家中を駆け回るだけの狐が金平糖の取り合いをしていた。

 

ーおわりー