ヤマシロ国妖異譚

妖怪のいる世界の小説かく

ヤマシロ国妖異譚

妖怪のいる世界の小説

寄常ちゃんのお仕事⑥

f:id:gokei-ryuya:20190401133619p:plain


「え?」

屋敷の敷地内に一歩踏み入れた瞬間、寄常はまるで水の中に体を沈めるような心地がした。空気が冷たく濁っている感覚。あまり良い気分とは言えない。

「あの、ごめんなさい。私がここから離れたせいよね」

キミが屋敷の奥をじっと見つめて言った。座敷童は座敷童が住んでいる家、家庭を幸せにする良い妖怪とされている。しかしその家から座敷童がいなくなると火事で全焼するだとか崩壊するだとか、とにかく災いが起きるという話がある。キミがいない間に何かがこの屋敷で起きていた。見た目にはわからない。ただの古い屋敷だ。しかし中の様子を見てみないことには依頼を断る理由を作ることもできない。

寄常は恐る恐るあちこちに車輪や鍋・本棚などの粗大ごみが捨てられている庭を通り、玄関の引き戸を開けた。

「やっと帰ってきたか!」

誰もいないと思っていた寄常の心臓が飛び上がった。慌てて周囲を確認するが誰もいない。奥から出てくる気配もない。そこにあるのはキミなら余裕で入り込めそうなほど大きくてゴツゴツした壺と魔除けだろうか小さな狐の人形が置いてある。あとは奥に向かって点々と古めかしい骨董品などが無造作に転がっている。寄常は骨董に明るいわけではないが不法投棄するにはもったいないほどの逸品ぞろいに見えた。

「座敷童のクセに本について行ってどうする!この家が倒壊しなかっただけ良かったと思え!!」

近くからまた怒声が聞こえた。やはり座敷童が家から離れると良くないことが起きるという話は確かなようだ。厳しめに叱られたキミは管鈴と同じくらいの大きさの狐人形にごめんなさいと素直に謝った。よく見れば人形の口が開閉している。

「関係ない人間まで呼び込んで……すまないね、送り届けてもらって」

白や赤などの刺繍糸で作られた狐は、背筋の伸びた座り姿勢のまま小さな三角の頭を寄常に向けて礼を述べた。

「動くんだ……」

「ワタシは付喪神。古くなると魂を得る。100年やそこらの新参者ではないからね、動くくらい容易いことだよ」そう言って4本足で立ち上がった。胴と同じくらいの太さの尾が大きく揺れた。「大昔に住んでいたお婆さんが作った人形なのよ」キミが言った。

「おぬし、名前は」狐は首をかしげて見上げた。人形劇を彷彿とさせる動きだ。ぎこちないながらも生物なのだと思える生々しさ。

「ヒラサカキツネ。”どこかに寄る”の『寄』に”日常”の『常』」

「キツネとな。珍しい。良い名前だ」

狐は頭をカクカクと揺らし目を細めて笑った。しかしすぐに姿勢を正して真面目そうな表情に戻る。

「何が起きているの」

狐の雰囲気に何かを感じ取ったのかキミも真剣な表情をして本題に入った。

「いらんものが入りおった。悪霊だと思われる。キツネ、おぬし霊感はあるか」

悪霊。敷地内に入った途端に感じた淀んだ空気はその悪霊の妖気といったところか。

この国のほとんどの人は妖怪を見ることができる。しかし霊 ー 死んだ者の魂 ー はほとんどの人が見えない。妖怪と霊感を持つ極少数の人間は霊が見えるという。寄常は幽霊の類は見たことがなかった。

「ない、と思う」

「ふむ、仕方ない。ワタシを手に取りなさい。見えるようにはなるだろう」

知らぬ間に憑りつかれて悪霊になる、なんてことはなくなるはずだ。そう言って前足を寄常に差し出した。

「キミが居らぬようになってからこの家が、いろいろなモノ、ゴミだけじゃない、付喪神らもだ、それらを集め始めてな……あぁ、この家も100年をとうに過ぎておる立派な付喪神だ……それらと一緒にその悪霊もついてきたのだろう。奥の部屋にずっとおるよ。彼奴は何かを待っている」

寄常の指先から肩まで登り、くるくるとその場を回って座り心地の良い場所を見つけた狐は説明を続けている。その間に寄常には劇的な変化が訪れていた。粗大ごみと骨董品が点々と置かれているだけだと思っていた屋敷にはたくさんの動物霊がいた。狐に触れることで本当に霊を見ることができるようになったらしい。その動物霊の中で特に多いのはウサギ。確かに外で野ウサギが走っているのを見かけた。エンガのウサギはこの地方では有名らしく、麓の街の駅にも土産物としてウサギを模した根付けが売られていた。

輪郭がぼやけて形の不鮮明なウサギがすぐ足元で寝ていたことに驚いているとキミが「この村周辺で死んでしまった動物は座敷童、私ね、がいて安全なこの屋敷に集まってくるの」と教えてくれた。

「この子たちにも悪いことしちゃったわね……」

キミが小さな手でウサギの背中をなでた。今まで誰もいない屋敷にキミひとりで住んでいたのかと寄常は思っていたのだが、意外と賑やかに暮らしていたのかもしれない。ウサギたちと一緒に次に引っ越してくる人間を待ちながら。

「それで、その悪霊を除霊?する技とかあるの?」

胡散臭い除霊の話などはたまに耳にするが、それが本当に効果があるものだったとしても霊感のない寄常には再現できるはずもない。

「技などない。対話するだけだ。話を聞いて、問題があるようなら解決する。それしかない」

「話って……悪霊なんでしょ?大丈夫なの?」

そもそも言葉が通じるのか。意味不明の言語を投げつけられでもしたら混乱して逃げ出す自信がある。外国の観光客に道を説明するにもオタオタとするくらいだ。頼りなく渋い顔をしている寄常を見てキミが話を続けた。

「あなたはその悪霊とお話してくれなかったの?」

「うむ。妖怪の話など聞かぬと一蹴されてしまった。この国が妖怪と共存する体制を整えるのに時間がかかったのはこういう輩がいたからだな」

もう今生の人間でそのようなことをいう人はいないだろう。悪霊はかなり昔の時代の人間なのかもしれない。存在を認めず共存していなかった時期などもはや学院の教科書の隅に載っている程度だ。

「私が人間だった時代はみんなそんなものだったわ。それでも私を妖怪に仕立て上げるくらいには妖怪の存在を認識していたの。矛盾よね。自分たちと少しでも違うことろを他人に見つけると寄ってたかって叩くのよ」

人間だったキミが座敷童になった理由は何だろうか。寄常はなんとなく答えが分かったような気がした。キミはどこか周りの人とは違う部分があったのだろうー例えば他人より極端に身体の成長が遅いとかーそれを周囲の人間が”忌むべきものだ”として隔離し、尾ひれをつけた噂を言い伝えることでキミの存在を捻じ曲げた。人の言葉が座敷童を作り出したのだ。≪言霊≫という人間が使えるチカラだ。

「何にしてもここから彼奴を追い出さねばキミがここに留まることができぬ。今にも倒壊してしまうだろう。キツネ、ここではおぬしだけが彼奴と穏便に会話ができる状態だ。頼まれてくれ」

「言葉が通じるのであれば会話すること自体はいいけど、襲って来たりしない?」

「それは話してみないとわからない」

ためらいなくきっぱりと言われた。狐との話は「妖怪だから」という理由で断られたのだから、人間の寄常ならば上手くいくかもしれない。しかし寄常に対してどういう反応を示すか分からない。もしかしたら「生きている人間だからダメ」と言われる可能性もある。言われるだけならまだいいが、何がきっかけとなって凶暴化するか分からない。何しろ相手は悪霊だ。現世に強い恨みが残っているがゆえに死にながらも現世に害を与えるほどのチカラを持っている。

「ちゃんと守ってくれるんでしょうね?あたしには何のチカラもないんだからね」

「……む」

肯定でも否定でもない曖昧な返事だった。付喪神とはいえ人形を頼りにするのは間違っていたのだろうか。不安で仕方ない。

「座敷童の私がいるから万一のことには早々ならないだろうけど、一応悪霊の機嫌を損ねないように私は部屋の外にいるわね。頑張って!」

小さな両手をグッと握り込んで応援してくれるキミに背中を押されるように、悪霊がいるという部屋へと続く廊下を忍び足で進んだ。