ヤマシロ国妖異譚

妖怪のいる世界の小説かく

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妖怪のいる世界の小説

寄常ちゃんのお仕事④

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寄常はひとりでトウジの家に戻って来た。

ミチの呼吸は落ち着いたが、再びここで掃除を続けるのは無理だと判断した寄常は一度電車に乗って家まで送り届けることにした。両親と妹のミナコがそろって家の中で休日を過ごしている光景を見て気持ちにやっと余裕ができたのか、ごめんねと何度も泣きながら謝っているミチに別れを告げた。憔悴しているミチの様子に慌てて玄関に出てきたミチの母親に「掃除してたら狸に化かされてびっくりして過呼吸になった」と説明したが「遊びに行くと言って出かけたのにどこを掃除してたと言うんだ」と後から大きなお腹を揺らしながらのしのしと歩いてきた父親に聞かれたときはヒヤリとした。

ミチは家族にトウジと付き合っていることを内緒にしているのかもしれない。少なくとも父親には。

「今は安定していますが、またいつ呼吸が乱れるか分かりませんので精神的な安静を第一にしてください」と詮索しないよう制したが果たして守ってくれているのだろうか。

おばさんとミナコちゃんが止めてくれていればいいけれど。

ミチの容態は気になるが寄常は仕事としてこの部屋に来ている。また明日、と期日を延ばすわけにはいかないもどかしさを感じていた。

預かった合鍵で扉を開け、弁当殻撤去の続きを始めようと落ちていた袋に手をかけた。

「あら?帰って来たの?」

寝室には5歳くらいの女の子がいた。畳に正座した小さく丸い膝の上には分厚い本が開かれている。きっとこれがさっきの狸なのだろう。研究学院生から”化かしてくる狸は無視しておけばいい”と教わった寄常は寝室の弁当殻 ー少女の目の前にあるー から袋に詰め込んでいった。割り箸は燃えるゴミの袋に。

「さっきは驚かせてしまってごめんなさいね。お掃除に来るっていうから邪魔にならないように姿消してたんだけど、貴女たちあちこち移動するものだから逃げ回ってたら足音消すの忘れちゃってて。しかもそのまま声も出してしまうのだから。私ったら、本当にドジね」

物言いと静かな笑い方が幼い見た目にそぐわない。着物の袖で口元を隠す仕草のちぐはぐな様子がまるで近所に住んでいるナカノおば様のようだと思った。寄常の住んでいるリンドウの下町には上品な家などないい。しかしそのナカノ家の奥様は数年前に流行った物語の主人公である上流階級の女性を真似て静かな笑い方だけを習得した。見た目はいかにも騒がしい下町の中年女性だ。今朝も義務学院生の幼い長男を大声で叱り追いかけまわしている声を聞いた。

少女姿の狸は大小さまざまな菊の刺繍が施された赤い着物に藁を編んで作られた草履を履いている。黒くて長い絹のような髪。典型的な古い人形のような容姿をしている。大した変化の術だ。このような見た目の人形は寄常の家にも1体置いてある。祖母の部屋に置いてあるその人形は少し怖い。真っ黒な目と白い肌の造形があまりにも精巧すぎて魂が宿っているのではないかと思うほど。幼いころに今にも憑りつかれそうだと恐怖を覚えてから今でも祖母の部屋にはあまり入らない。

寄常が床に放置されていた弁当殻を詰めた袋とゴミ箱の中のものをまとめ終わっても狸はまだ一人でしゃべっていた。トウジの部屋は汚いが面白い本がたくさんあることや、弁当をつまみ食いしたがあまり美味しくなかったこと、そしてミチとトウジはあまり付き合うのに向いていないと思うといったことまで。

「よくしゃべる狸だな」

寄常は無視し続けることができなかった。寄常が絶対に言葉にしなかったことを言ったからだ。寄常自身もミチとトウジは合わないと思っていた。どうみても今のミチはトウジの更正施設だ。恋人を求めていたはずが不出来な子供を預かり育てているようなものだと寄常は怒りを感じていた。ミチの苦笑いじゃない本当の笑顔をこの8ヶ月の間一度も見ていない。高等学院を卒業してからも週に1度は必ずミチと顔を合わせる寄常でさえもだ。お茶会と称しては近況を報告しあう最後にいつも「ごめんね」というミチ。残念な男に引っかかってしまったことに気づこうとせずにトウジとの幸せを夢見る可哀そうなミチ。

ミチが選んだ人をミチの幸せを願う寄常は悪く言うことができなかった。ミチに嫌われたくないという寄常の我儘がミチを苦しめる結果になっていることにも寄常は気づいていたのに。

「まぁ!!貴女、私の事を”狸”だと思っていたの!?失礼にも程があるわ!!」

跳ねるように立ち上がった少女がガラス玉のような目をむいて叫んだ。

「人のこと化かしておいて、狸じゃないっていうなら何だっての!?ミチがあのままだったら病院送りになるところだったのよ!?」

「だからごめんなさいって謝ったじゃない!!」

積み上げられていた辞典のように分厚い本の塔が倒れ、埃が舞い上がった。恐らく少女のチカラなのだろう。ヒトにはないチカラが暴発した。妖怪は人間より余程チカラが強い者が多いため、おいそれと喧嘩はするなと子供のころに誰もが教わる。それなのに頭に血が上って妖怪と言い合いをしてしまうなんて。

「じゃあ、なんなのよアンタ」

寄常は目をそらした。窓の外ではもう太陽が沈む準備をしていた。羽織の袖の中に図書館への返却予定書籍の一覧表が入っているのを思い出した。今日の閉館時間には間に合わないかもしれない。弁当殻どころではない部屋中に広がる大量の本の中から目的のものを夕方までに見つけ出せるとは思えない。

「私は座敷童と呼ばれてるものよ。遠くの山にある家のね」

そう言って差し出された手には学院の印が押された本があった。