ヤマシロ国妖異譚

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寄常ちゃんのお仕事②

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9月。蒸し暑い日が未だ続く季節だが今日は曇っていて比較的涼しい。

トウジの部屋に着いた寄常は扉の前で軍手をはめながら思った。

それでも少し動けば汗がにじんでくる。この現場はできればこれきりにしたいところだった。

研究学生であるトウジの部屋には重要な書籍が多く存在している。

“ギリギリ持ち出し可能”というような年代物の書籍だというのに乱雑に置いてあるため、こちらは細心の注意を払わないといけない。

「貸出期間が過ぎている本も数冊あるはずなので、それは学院の図書館に返却をお願いしたい」と昨日学生課から通知があった。

もちろん掃除の仕事外の話になるので追加で依頼料を貰えることになっている。参考資料として使う時にだけ借りて、すぐに返却していれば学院側も余計な勘定をすることもなかっただろうのに、手元に置いておきたがるトウジの性格を誰も御することができないために大図書館の司書たちは学園の経理係とのやり取りに苦労をしているようだった。

「じゃ、開けるよ」

ミチが合鍵を使って魔窟の扉を開いた。

まず二人を襲ったのは異臭。夏場に放置した生ごみが腐りきった吐き気を促す匂いだ。

マスクなど容易く通り抜けて鼻を潰しにかかっている。

「これは…」

そこから言葉が出ない。初めての”本物のゴミ屋敷”だった。

思わず扉の外で匂いから逃れるように壁に張り付きミチと目を合わせた。よく外廊下に漏れ出さなかったものだ。

「まずは導線確保のために廊下を片付ける。それから奥に入って粗大ごみがあるなら運び出して、もちろん生ゴミ処分も同時進行ね」

「わかった。…よかった。このフロアの人全員出払ってて」

まさに。こうして扉を開け放ったままにしておけるのも、この階に誰もいないことを確認しているからだ。そうでなければ強烈な匂いでショック死した隣人の遺品整理に駆り出されることになるだろう。

寄常はマスクの鼻に当たるワイヤーをきつく押さえつけた。

 

玄関は比較的綺麗だった。

相変わらず紙屑となり果てた書類が散乱しているが、下駄や草履の存在が確認できる。以前は本に埋もれていて、まず裸足で廊下に出てから草履を発掘する毎日だったとトウジが言っていた。

「そういえば、今日トウジさんは?」

「研究室に預けてきた。管鈴とお財布持ってるから後は研究室の人が何とかしてくれるでしょ」

橙色の薄羽織の袖をたすきで纏める動作は素早く、もうこれまでに何度もこの部屋を片付けている様子がうかがえた。

当時高等学院生だったミチにとって研究学院生のトウジはとても魅力的に映っていた。

年上であることもさながら、黙々と読書をしている姿が落ち着いて見えてミチの周囲にいない人種だったようだ。

文化祭で喫茶店をしていた寄常たちの教室に休憩をしに来た客。その程度の関わりだったがミチはぐいぐい押して交際までこじつけていた。

寄常は大きなビニル袋を数枚広げてあちこちに配置しながら奥に進んだ。

居間に近づけば近づくほど異臭は強くなっていく。壁を這う黒い昆虫は本も食べてしまう。貸し出し中の書籍の被害が少ないうちに片づけてしまわないと司書たちの胃に穴が開いてしまう。

「セイランのゴミの分別知ってる?一応一覧表もらって来たんだけど」

懐から4つ折りにされたカラー印刷の紙を取り出す。ふたりが住んでいるリンドウとセイランでは分別の仕方も収集日も違い混乱を招く。確認しておかないと大量に出たゴミをリンドウまで持ち帰ることになりかねない。掃除の依頼を受けているからには適当に捨てるわけにはいかない。これは本業にしようと思っている寄常の矜持である。

「大まかな分け方は外のゴミ捨て場に書いてるのを見たから知ってるけど、どっちかわからないっていうのがたまにあるなぁ」

「そうだね。全く分からないものが出てきたら別口で袋にまとめておいて、あとで役所に確認して捨てるようにしよう」

ゴミ収集の業者は必要ない程度のゴミの量だろうということで、すべて自分たちで捨てに行くことになっていた。丁度今日が燃えるゴミの収集日だ。建物共同のゴミ捨て場に置いていけば、残りは荷車ひとつで収まるだろう。

玄関から入って正面が居間、左側の扉はお風呂、右側の扉はトイレ。その短い廊下は本と細かいゴミと大量の衣類で埋め尽くされている。帰宅すると同時に外出着を脱ぎ棄てそのまま居間に向かって行った構図が見える。

ゴミを搬出する導線確保が優先事項のため、とにかく衣類を透明のビニル袋に纏めてしまうことにした。必要不必要は本人にしかわからない。1か月前までミチが掃除していたというなら着れないようなボロはないだろうが、廊下を埋め尽くすほどの量の衣類はこれを機に減らしてスッキリさせた方がいいとは思う。お洒落な衣装持ちなのかと思いきや、洗濯が面倒だからと学院内の売店で新しいものを買うのが習慣になっているのだという。たしかに拾ってみれば細身のトウジにしては大きすぎるシャツが多く、印刷されている模様には全て「セイラン学院美術科」と小さく書かれていた。

「この服、1か月分あるのかぁ…」

風呂へ続く扉を見ながらミチがつぶやく。扉の向こうには備え付けの洗濯機がある。一体何回に分けて洗濯すればいいのか。そう思っているのだろう。

衣類は1枚退けるとかなりの面積の床が見えて来る。居間の掃除に取り掛かるのにそう時間はかからなかった。